誰かが誰かより優れている?(+私自身の告白)

みなさんこんにちは。

今日も本当にわざわざこのブログまで足を運んでいただきまして、
まことにありがとうございます。

せめて今年いっぱいは毎日みなさんに何かしらの情報を提供させていただきますと公言しなきゃよかったなどとは思っていません。皆さんの日々の訪問に元気づけられています(^^)

さて、前回の記事で私の継続を後押ししたものたちを紹介させていただいた過程のなかで、かなり私自身の暴露もさせていただきましたのでそのついでに、もう少しだけどころか完膚無きまでところまで私を落としたいと思います。私とみなさんの距離をゼロ(可能であればマイナス)にします。何も隠すつもりも、必要もありません。

なぜ暴露を続けるかの理由は、「誰が誰より優れているという概念は基本的にはない」ということを皆さんに知っておいていただきたいからです。結局1人1人持っている資源(時間はもちろんのこと才能も)にさほど大きな違いはないと思っています。

※私は経験ゼロで実際に体験はしていませんが、SNSをやりすぎていると他の人の生活が自分の生活より恵まれているとか素晴らしいとかいう全く根拠のない思い込みに陥ってしまいさらにはうつ状態になってしまうという傾向があるという情報を読んだことがあり、それは完全な誤解だという事実を広めたいという思いもあります

私がただの、普通にどこにでもいる(もしかしたら悪い意味でなかなか見かけることのないレベルかもしれません)人間だと知ってもらうことで、そしてその結果「なんだ、誰にでも第二言語楽しめるところまでは行けるじゃん」というふうに理解していただくことで英語学習に乗り出し継続する方の人数を増やすことも非常に大きなというか、もう一つの最大の理由(目的)です。

他人との比較は全く意味がないという旨何度も何度もお話しさせていただいてますが、そうは言ってもどうしても人間という生き物は他の人と比べてしまいがちなのはすごくわかります。

何かのブログを読んでいるとその著者がすごい人に思えてくることはよくあります。私自身、他のブログ(主に英語に関するブログ)を読んでいるとよくそう感じます。SNSでの錯覚もこれと同類の虚像だと言えます。(SNSにおいては、人という生き物は主には明るい面だけアップロードする傾向があるという事実が最大の理由だそうです)

でも面白いことに私自身はブログを書いているときは自分のことをそういう風に感じることはありません。むしろどうして文章がうまく書けないのかとか、そのあまり品質のよくない文章ですら準備にすごく時間がかかりすぎているなぁとか劣等感すら覚えてしまうときもあります。

要するに、私もブログを書いていますが、私は鉄人でも超人でもありません。ただの凡人です。むしろ凡人以下です。

例えば私のブログを初めて訪問された方はまず私のプロフィールを見て、「へえなかなかの所まで行ったなぁ」と思ってくれるかもしれません。

しかし、前回の記事で(一部を)紹介したとおり私の継続を後押ししたものたちの中にはたくさんの劣等感もあったのでした。長くなりますので別枠に移ります。本題のみ読んでいただく方は飛ばして読んでいただければ幸いです。

・ミスをしゅっちゅうやらかす(お金を納めてもらったときに納付書のうちお客さんに返すべき方、つまり領収書の片割れと、こちらに残しておかなければならない片割れとを逆に取り扱ってしまうミスもここ過去2年以内で数回、そしてその他もっと深刻なことも何度も経験あります)

・社交性ゼロ(親とですら付き合いはうまくできてませんし、義理の両親の家に毎年1度訪問してますが滞在中は朝からずっと一日中いるのは不可能で一人で日中外に出させてもらうこともしょっちゅうあります。職場でも子どもつながりの行事等の食事会でも何かの飲み会でも話題を持ち出す順番や頻度は100人いれば100位に位置している人間です)

・臆病者(一例;数年前に小学生相手の社会科見学案内を10回はやりましたが最後まで「前日からの緊張」から解放されることはありませんでした)

・精神科や心療内科へ長いことお世話になっていて、精神安定剤は高頻度で必要としている(睡眠薬は耐性がこわいのであまり使わないようにしています(高頻度でも週一)が、たとえ薬を飲んだ日でも眠れる保証はなしです)これは下記の性格の変化が大きな原因かもしれません。

・性格が何か変に几帳面または極端になりました(家族で車に乗っているときは例外として、自分だけで乗っているときは厚着をして暖房をまず使わないようになりましたし、過去数年間ほどショッピングバッグを断固としてもらっていません。車の運転ではほとんどフットブレーキを使わずエンジンブレーキだけで済むようにしたり加速は本当にこれでもかというくらい控えめにしたり・・・赤信号で一定秒数以上待つときはわざわざエンジンを切るまでになりました・・・子どもに早いうちに読書を身につけさせたり、英語を始めさせたりして将来を心配し過ぎたのもこの一例だと思います。ところがすべての分野でこのレベルの省エネを徹底しているわけではないのです。日本はかなりの率を火力発電に頼っているのを知りながらも自宅の電気についてはガソリンほどは節約に励むことはできていません。

また、先日の記事に書きましたが、病院などで数時間も平気で読書も何もせず過ごしている人を見かける度にとても悲しくなってしまいます。自分には他人の人生に関与する権利はゼロにもかかわらずです。ゼロどころかマイナスの権利です・・・悲しくなるといえば他の人が無駄な加速やアクセルのキープを不必要に使ってエンジンブレーキではなくフットブレーキ主体で運転しているのを見るたびとてもやるせなくなります。(もう一度確認ですが、干渉する権利はもちろんありません) とにかくいろいろな意味で(いい意味でも悪い意味でも)一般の大部分の方が気にしないところ(や、上記のように自分の性格に相反すること)を不必要なまでに気にしてしまうのです

・背は低く、手足の指は短く、ネコミミ、膝が少し変に曲がっている(例えば学校の廊下など硬いところをジョギングしていると膝の形のせいか足裏への体重のかかり方がうまくいかず、ふくらはぎがパンパンに張ってしまいその痛みで循環器系の疲れを待つことなく中止せざるをえないことが大半です)

・食べ物へのこだわりが強すぎる(これだけで記事が出来上がるほど内容盛りだくさんです)

・白いシャツを数カ月の期間で使っていると脇の下が黄ばんでくる

本当にまだまだ、まだまだあります。いくらでも追加できます笑

言い方を変えれば、一部にはこれらの劣等感のおかげで今の自分があるのです。(劣等感の強さ⇒それらを補うべくの継続への執着は前回お話ししました)この理由からは、いろいろな面で私より上手の方は何かを継続できる可能性が低いとさえ言うこともできます。(極端な言い方ではありますが)

話は少し変わりまして、これは「選択と集中」の記事でお話しした内容とも相通ずるものがありますが、もし1人1人が100の資源を持っているとしたら、100個の分野において1の力を持っているか、1個の分野において100の力を持っているか、50個の分野において2の力を持っているか、人の人生を決定づけ(特徴づけ)ている最大要素の一つはこれらのような違いなのです。

※さすがにこれは「同じ量だけの継続努力」(ここでは資源をいずれかの分野へ投資し続けるという行為とします)が前提条件となるかもしれません。やはり毎日だらけた生活をしていては伸びるはずのものも伸びないでしょう。

他人との比較に立っても、自分の内部の精神力に限っても結局は自分の限りある(かつ他人と同程度の量の)資源をどこに向けるかが違うだけなんだということです。

私の場合幸いなことに他のことが犠牲になった代わりに「継続」には励んでこれました笑
そしてその分上記の劣等感の源のほかに、「料理や家事」も苦手のままです。

プラスの例としては、プロフィールにもありますようにSNSはやりませんので(study plusのみ)、それに消費(浪費とは断言できませんので消費です)されていたであろう時間は学習に傾けることが出来ています。その分家族や友達には不便と言われますが大きな支障はありません。(そもそも友達自体毎年会うくらいの仲の友達は2人かせいぜい3人くらいしかいません)

マイナスの例としては、これはみなさんに確実に嫌われるのはしょうがないけれども、もしかしたら潜在的な長期的英語学習者の数を増やしてくれるかもしれないことです。今現在私はよく家に帰ってからの1時間ちょっとの間、子どもたちといる時間帯に「家族時間」という大義の下にお酒を500mlで1~1.5本飲ませてもらってます。

もちろん、最低限の自分のトレーニングとブログの準備を終えてからでないと帰宅はしません。子どもたちが大きくなって学習の邪魔をしなくなったとはいっても、夜の「精神力が消耗しきった」状態で(以前精神力についてもお話ししました)帰宅して子どもたちの声が聞こえる家で学習をやるのは精神的にも体力的にも結構難しいので、帰る前に最低限のことを済ませてしまうのです。

そんな自分へのご褒美も兼ねての、家族時間名義の一日の中のいっときのお酒です。みなさんには嫌われること必至ですが、今はこのだらしなさのおかげでバランスを保てている、言い換えれば、これも今の継続を後押ししているものだと言えます。

※本当に集中的にやるときはその期間だけはご褒美を抜いて、その期間終了後にまとまったご褒美でバランスをとってその後の継続への励みとするようにしてくださいね

何か話が長くなってしまい、そしてまとまりがなく分かりにくい記事になってしまい申し訳ございません。

今日の結論
・他人との比較に意味はない
・他人との比較に走ってしまっても総合的な資源の量にさほどの違いはない⇒主にはどこへどう投資するかが重要(どこかへ投資し続けていることが前提)
・自分の中だけで見ても何かに資源を投資すれば他の分野については幾分おざなりになってしまうがそれは仕方がない⇒自分にとって大切な分野に投資しよう


みなさまの日々の清きクリックに元気づけられています。

今日はさすがに嫌われたなという確信はありますが、それでも私が決して「立派な人」ではないことを真にお話しできて長期的には将来の英語学習者の数を増やせるかもしれないと、本当に期待しています(^^)
何となく、肉を切らせて骨を断つ的な気持ちです。

誰が誰より劣っている、優れているということは基本的にはないのです。
人それぞれ、今現在どの分野にどのように資源を投資しているか、そしてこれからどう使っていくかが大事です。
繰返しになりますが、これは継続的な努力(資源を投資し続ける行為)を大前提としています。

自己啓発系情報は資源の量を劇的に変化させることはできないかもしれませんが、「どのくらいの資源をどの分野にどのように投資るか」については、本当に大きな影響力を持ちえます。

https://benjaminhardy.com/30-behaviors-that-will-make-you-unstoppable-in-2019/

今日も貴重な時間を割いていただき、まことにありがとうございました。

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プロフィール

板垣 直人

TOEIC920 TOEICSW340/400 英検1級
1981年3月生まれ 秋田県在住地方公務員
大学受験までは英語を勉強した経験はあったものの、就職してから31歳まで、まったく英語に縁のない生活を送ってました。20代のころからたまにTOEICを受けてましたが(勉強せずに)500~600点台をさまよってばかりでした。
2012年の夏、31歳から少しずつ英語学習を再開し2年後2014年の夏、33歳からは「毎日学習」の軌道に乗せ、今日に至ります。学習時間を確保するためSNS類はやっていません。唯一、学習時間管理のため、study plusに登録しています。(naoto)
経過
2006 9 610
~~この間ぽつぽつと受けてました
2010 01 655 2012夏少しずつ勉強開始
2014 11 655  2014夏勉強が毎日になる
2015 03 865
2015 11 850
2016 01 920(L465R455)
2017 11 340/400(S160/200W180/200)
2018 06 英検1級初挑戦
    一次試験合格も二次試験没涙
    11 二次試験惜敗大涙
2019 02 二次試験落第号泣
    06 二次試験合格
連絡先 naotonaoto198121@gmail.com