みなさんこんにちは。
今日もまたはるばるここまで訪問していただき、まことにありがとうございます。感謝です。
1月もいつの間にか下旬に入りました。充実した日々をお過ごしでしょうか。歩みだけは止めないでください。
今日は、悲しい、非常に悲しい報告です。
中国や韓国に20年近い遅れをとりつつも、日本における英語教育は少しずつは改善しています。
私の時代には中学校から始まった英語の授業が、今年度からは小学3年生から週一ではありますが始まっています。
また、昔はネイティブスピーカーが学校にいる期間は年の半分もあったかはわかりませんが、今では1年のうちのかなりの割合で学校に滞在しています。
しかし一方で全然改善していないことがありました。
それは子どもたちの、母国語以外の言語学習(特に発音)に対する認識です。
昨日の出来事でした。息子が教えてくれたのです。

汚い写真で申し訳ありません。写真は楽しみながら音読しているところです。
「最近学校の英語の授業でnurseを発音する機会があったけれど、nurseと発音すると笑われるからナースと発音した」と。
愕然としました。まだそんなくだらない愚かな状況が続いていたのかと。
もちろん私の学生時代もこのような傾向はありました。
しかし、最近はお子さんの英語教育に力を入れる大人の数も増え、またより多くの大人が英語学習に励むようにもなり、これらの変化が子どもたちにいい影響を与えて上記の傾向は改善されているのではないかと思ってました。
また、今上の子は4年生ですが3年生の時に私が担任の先生に「(上記の)傾向が心配なのでもし息子を馬鹿にするような雰囲気があるようならそのたびに何らかの対処をしてほしい」という旨のお願いをしたところ、「今の子どもたちはそんなことないですよ」と言うので、上記の推測は確信に近い安心のようなものに変わっていました。
そんな中での昨日の息子からの報告でした。
本当に悲しいですよね。カタカナ英語の方がよっぽど恥ずかしいというのに。これでは「出る杭は打たれる」どころか「大切な芽が摘まれる」の状態です。
もちろん子どもたちが悪いわけではないです。いつの日も「いじめ」は問題になっています。これは人間の脳の構造上、幼いうちは寛容性が未熟だからというのが理由の一部でしょう。
この理由から大人の世界になれば「いじめ」は自然消滅していきます。(残念ながらゼロにはなりませんが)
寛容性の未熟さが発音に対する姿勢にも現れていると思います。成長して大人になってくると逆にカタカナ英語が恥ずかしいとわかっています。
そこで、いじめの場合と同じように、子どもたちの発音に対する認識を改めるには大人の側の行動が必要になります。特に実際に子どもたちと同じ教室にいる大人です。
全国の先生にお願いです。子どもたちが英語(その他の日本語以外の言語)の発音をばかにするのは間違っていることだと頻繁に教えていただきたいです。
今日のタイトルに「土壌」を使ったのは以下の理由からです。
実際に育つ子どもたちを「芽」、子どもたちを育てる大人を「天候・肥料・水など」、そして教室の雰囲気や周りの友達など環境的なものを「土壌」としました。
大人の「天候」が「気候」までグレードアップできれば、私は大人が「土壌」を変えるだけの力を持てるはずだと確信しています。
先生に限らず、全国の大人の方へお願いです。子どもたちの、第二以降言語に対する不寛容を取り除く教育をしてほしいです。もちろん私も機会があるたびに必ず実践します。
人間みな平等に生まれてくるように、どの言語がどの言語より優れているとか偉いとかなんてありません。
私たち日本人にとっては変に見える文字、変に見える文字はあるかもしれませんが、それらを母語として使う人々にとっては日本語が変に感じるかもしれません。単なる相対的な認識問題です。
私たち大人が、たくさんの「芽」を「大木」まで育てるために「土壌」も改善していくべく励んでいきましょう。
今日はここまでです。
本日もお忙しいところのご訪問・閲覧まことにありがとうございました。
みなさまの日々の清き応援クリック、本日もどうかよろしくお願いいたします。
改めてありがとうございました。

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2021/02/05 Edit