みなさんこんにちは。
今日もまた当ブログをご覧いただき、
まことにありがとうございます。
さあいよいよ「TOEIC900までの道のり」シリーズ最終回です。
続きです。
前回、いわゆる「TOEIC900オーバー」から、私の人生で表面上は
何も得ることはなかった旨、お話ししました。
内面では何が得られたのか。そして一般論で(みなさんの人生で)は
何が得られる可能性があるのか。
私の場合、まずこの一つの到達点から、幸せを得ることができました。
そしてなにより、この自分で「本当に味わった」経験のおかげで、このブログでの
「TOEIC900までの道のり」シリーズを書くことができることとなりました。
これがまた多くの方への励み・参考となってくれれば、このことが
さらに「もたらたれたもう一つ」の果実です。というか最大の果実です。
みなさんの人生では何がもたらされるでしょうか。
・職場での昇進や昇給につながる
・就職活動中等の方が履歴書に書くことができる⇒仕事を見つけやすい
など考えられますでしょうか。
仕事での地位や給料を抜きにして、
個人的に思う、「もたらされる可能性のあるものたち」をさらに挙げます。
1 努力を継続できる証明書なる存在になりえる
海外経験がなく、日本生まれ日本育ちの方々にいえることは
TOEIC900までの道のりは短くはないということは申し上げました。
しかし、継続すれば必ず達成できる距離であることもお話ししました。
つまり、この地点に到達できたことはみなさんが毎日数時間レベルの
努力を最低数カ月継続(1日1時間程度であれば数年単位になる
可能性がありますが)できた(これからもできる)という証明書になるのです。
これが今後のみなさんの人生での誇りになります。
今後、解決に数カ月はかかるであろう他の問題・難題に直面したときにも、
きちっと対処できることでしょう。
2 1の証明書が自分の中だけはなく、他の方(全員ではなく一部)に対しても有効になる
これは1から派生することですが、大体同じスタート地点から同じ地点に
到達することによって、そこにいる方々同士でお互いに、「ある程度の
努力ができる人」なんだと自動的に分かり合えます。
どの程度の努力が必要かは皆さんが身をもって体験するのですから。
つまり、「継続できる」という証明書や誇りが1のように「内面的」だけではなく、
たとえその範囲は限られているとしても、上記のように「対外的」にもなるのです。
これは他の何の試験にも言えます。(大体同じスタート地点から出発したと
すればです)
つまり今回の地点とはまた違った地点、つまりTOEICSWのスコアや
英検何級というのも、実際に到達することによって、
お互いに「分かりあえる」材料になりえます。
ここで注意です。
2を述べた後ですぐお話ししなければならないことです。
やはり1の方が2よりはるかに重要です。
一見、2と矛盾するようですが、他の人との比較は何も意味をなしません。
(このことは分かっていたつもりでしたが、
恩師にも改めて教えていただきました。)
人は何十億人と地球上にいますが、全く同じ顔、性格、体格、運動能力、
学習能力の人なんて皆無だからです。
例えば、実際私の恩師の場合は「英語学習再開」から3カ月で「TOEIC900」を
達成されてますが、私の場合は数え方にもよりますが、「数年」です。
「3カ月」の過程についての詳細は、しつこいですが恩師のブログを参照願います。
(「ブログ移転しました」のもう少し下の方へいくと道のりが公開されています)
http://eigonotora.blog84.fc2.com/私の場合は明らかに毎日の絶対量が足りなかったのが原因ですが、
たとえ「同じ時間」だけ同程度の学習をしても、同じ地点に達するまで
どの程度の期間を要するかは本当に個人差があります。
一方、語学の場合は、「過去の自分」と比べることは大いに意味があります。
※これについては、学習継続のコツとして後日、詳しくお話しします。
個人差があるため、「他人との比較」は意味がありませんが、それでも、
「生まれつきの才能」をある程度持って生まれた方でも「最低限の努力の継続」が
必要なのは間違いです。(私の知る限り)
この意味のおいて、2が成立します。
私は、TOEIC900は、たとえ「日本生まれ日本育ち」組の中に
本当の天才がいたとしても努力ゼロではなしえない地点だと信じています。
だからこそ「2」も挙げました。
2が長くなってしまい恐縮ですが、恩師のブログにてイチローの
小学校卒業時の文集の言葉が引用されてましたので、
ここにも引用させていただきます。
引用ここから
活躍できるようになるには、練習が必要です。
ぼくは、その練習にはじしんがあります。
ぼくは、3才~7才までは、半年位やっていましたが、
3年生の時から今までは、365日中、360日は、はげしい練習をやっています。
だから一週間中、友達と遊べる時間は、5時間~6時間の間です。
そんなに、練習をやっているんだから、必ずプロ野球の選手になれると思います。
引用ここまで
すごいですね・・・・
私の生ぬるい小学校時代の生活とは比になりません
涙がでます
やはり「努力不要の天才」という方はいないと思います。
3 何らかの、「あまり利益にならない習慣」の数が相当高確率で減っている
超個人的な意見です。私には「テレビ」を否定する権利は全くありません。
「テレビ」を通じてたくさんの会社、方々が日本の経済を支えてくださってますし、
映像を通じた学習素材にだってなります。
ただ、少なくとも私の人生上では「数年先を見る」人生観に立つと、
あまりもたらされるものがないとわかったので、
2013または2014年のいつのころからか自然に、完全にやめました。
よく、何年も親せきのお子さんを見ていないと久しぶりにみて
「大きくなったなぁ」とか思う経験ありますよね。
(大人の場合はふけたなぁとかもあります)
私もテレビをやめたという理由から、子どもがたまにテレビを付けていると、
「おおあの芸能人変わったなぁ」と思うことが多々あります笑
(自分の子ども時代はテレビを毎日見て育ったのに、自分の子どもには
毎日見る習慣をつけさせてません。ある意味「ずるい」し「罰当たり」です涙)
すいません話がそれました。私の場合はテレビでしたが、みなさんの中でも
何か一つくらいは「人生にあまりプラスにならない」習慣が一つか二つか減っている
可能性が高いということを言いたいのです。
4 極論
究極的にはみなさんが「継続」の最中(道中)なのであれば、スコアは全く重要
ではありません。「継続」の1日目(初日)の方が、スコアでは500の力もないとしても、
一方で、「継続」の1000日目の方がスコア850くらいだとしても、私は両方の
方々へ同じ分量の「敬意」を払います。
(悔しいことにうまい言葉が見つかりません。申し訳ございません)
数日後・・・・・笑
もちろんですが、毎回記事を複数回確認するようにしてまして、
特に今回、いい言葉が見つからず悔しくて一度書き終えてから
何日も完成できず、ずっとずっと考えて
やっと、一つ使えそうな言葉が見つかりました。
たとえば、サイコロ。6の目が出る可能性はもちろん1/6です。
しかし、人によって一発で出る人から数十回かかる人、そして
さらには1日じゅうかかる人もいるかもしれません。
そして、サイコロをふらないことには可能性は「ゼロ」です。
語学においては将来のテストのハイスコアがもたらされる可能性は、
努力をしない限り本当の「ゼロ」です。
「継続」の初日にいる人でも、「継続」の1000日目にいる人でも、
「継続」の道中にいる限り、「将来のテストのハイスコア」がもたらされる
可能性は「ゼロ」ではなくなります。1%だろうと10%だろうと、
とにかく、「ゼロ」ではなくなります。
このように、「将来の報酬」の可能性をゼロから引き離している行為それ自体、
意義深く、尊敬に値するものなのです。このプロセスが大事なのです。
結果は2の次。(私であればsecondaryを使います笑)
惰性のみで暮らしていては尊敬に値しません。
しかも幸いなことに(?)英語と日本語は地球上でもっとも
お互いの距離が遠い言語の組み合わせの一つなのでした。
なのでこのプロセス自体が脳のネットワークを強化して
くれるでしょう。
4がかなり長くなってしまいまして申し訳ございませんでした。
さあ今回が最終回でした。
みなさん最後まで「TOEIC900までの道のり」シリーズ
にお付き合いいただきまして、本当にありがとうございました。
(^^)
どうか今後も応援よろしくお願いします。
みなさまの日々の清きクリックが日本の未来を変えます。

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